top of page
2017年度2・3月号
『『私は、どう生きるか』の意味を求めて65年。生きている限り求め続ける私。』
 
マンガ「君たちは、どう生きるか」が、多くの若者に読まれているという。とても良いことだと思う。若者が思考してきたことに嬉しさを感じる。
 多くの大人も「どう生きるか」は、考えなければならないことと思う。なぜなら戦後から、「生きる意味」を考えなくなってきた時代と言えると、私は思ってきた。
「消費美化・高度成長・学歴主義」など「生活を楽しむことのみ?」を求めてきているように思えてならない。生きる意味の探求こそ、基礎的な喜びが心の奥から湧き出て来るからだ。
 
“生きる意味の探求は、
  • 自分と人を愛する意味。
  • 子を持つ意味。
  • 子どもに何を残してきたのか。
  • 何を残そうとしているのか。”
などを、大人たちが考えていないように思える。もし、考えていたならば、人間が創り出した文明の利器に振り回される人間。(文明病・様々な依存症・家族崩壊・家族間殺人等)。20年後は、想像がつかないほどの文明の変化と混乱がやってくると確信している。生きる意味が分からず苦悩する人が増えるだろう。
大人は、未来を見据えて、生きるための基礎的感覚、感性を(動物的本能・ある人は動物的野生本能ともいう)子どもたちに残さなければならない時代が来ている。
 
 園長自身は、15歳から迷いながら現在まで“私は、どう生きるか”を求めてきているし、生きている限り生きる意味を求め続ける人生なのだ。
園長自身は、『君たちは、どう生きるか』ということは言えない。
「私は、どう生きるか」と、自分に問い続ける生活を求め続けてきた。相手や子どもに要求する大人が多い世の中になった。大人は、子どもに多くの理想を要求する前に、自分自身の目を見て(心を見て)、「私は、どう生きるか」を問いかける大人になりたいものだ。
トモエの生活は、大人がどう生きるのかを生活の中で表現するために、園長は、創設してきた。子どもたちは、大人のわがままを、大人が気付くまで待っているのだ。トモエのお母さんたちは、気づき始めている。「我が子は、自分のわがままを許し待ってくれている」と。大人は、子どもたちの期待に、どう答えられるのか問われる時代が来ている。
卒園家族も含め、トモエ生活で体験してきたことを基礎として、親子で「私は、どう生きるのか」を、考え続ける生活が実現できるように応援したい。
永遠に・・・。
青組のお母さん!・・・
bottom of page