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2015年度5月号
 
母のぬくもりは、永遠に心を支える
母の心と、エンジェルマークが付いている黄色いキャラメルの箱の思い出
 
 
 母は、黄色いキャラメルの箱を持ってきて、私に話しかけてきました。
「キャラメルを食べようか」
『・・・・』
「半分づつね」
『・・・・』
 母は、12個人りのキャラメルを、母と私と6個づつ分けたのです。
「ジャンケンをして、勝った方が一つもらうゲームをしようか」
『・・・・・』
 母は、私に対して何を感じていたのか、私には分からなかった。
 
 
 この話は、戦後8年たった1953年、横浜の貧しい借家住まいでの母との思い出です。何が原因かは分からないのですが、学校を休み、家でごろごろしていたことを記憶しています。母親は43才、私は14才の中学2年生の夏の日と記憶しています。
 60年以上たった現在でも、「黄色いキャラメルの箱の出来事」は、私の日々の生活の中で生きているのです。私にとっては、不思議でならないのです。母は、30数年前に亡くなっている現在でも、私の心の中に息づいているのは、なぜなのでしょうか。
 母親のなにげない配慮、『母のぬくもり』は、60年以上も私の中に生きているのは、とっても不思議でならないのです。母の存在の大きさを感じている私です。(確信を持って言います。決して!マザコンではありませんよ)
 
 
 人間にとっての母子関係を長年探求してきた私に言えるのは、胎児期、乳幼児期に、『母子相互作用』という関係が創られて、いつまでも、子どもに影響を与え続けているということです。人間は、胎児期から母親の影響を多く受けて育つのですから・・・男には、絶対にできないことなのです。
 母が子を思う、ちょっとした思いが、母と私の心を結びつけてくれた「黄色いエンジェルマークの箱」が、私の心を温かくしてくれているように思えるのです。
 『あ・り・が・と・う!お・母・さ・ん! 私が今、少しでも自分自身に素直でありたいと思い、生きていられるのは、あなたの温かなぬくもりが、いつまでも生き続けていてくれるからなのです』。
 
 『トモエの、お・母・さ・ん!あ・り・が・と・う! 多くの若いお母さんと 子どもたち・スタッフに信じられているから、勇気と自信を与えられ生きていられるのです。トモエは、母のぬくもりがいっぱい創造されていることに喜びを感じている日々です』。母親の存在の偉大さを日々感じています。
 人の命は、男女の信頼から産まれます。その命は、信頼されなければ生きられない命です。お母さんの信頼がひとりの命の生涯を支えていることを大切に育てられるトモエにしましょうよ。
 (2004年2月5日「トモエ便り」に載せたものを、76歳の現在、私の思いを込めて書き直したものです)
 
 
 
園長の母親観と胎児乳幼児観
(2015年4月24日 園長のお話会資料)
 
 ・乳幼児期の園長の目から見た母親。
 ・女性と基礎的幸せと平和的生活観の確立と具体実践。
 ・母親の精神衛生が子どもの未来に与える影響。
 ・『現在の自分がある』のは、胎児期、乳幼児期の7年間、母浪が精神衛生が良好であったからです。
 
 
1、園長の命の誕生前後と母親の精神的生活環境。
 妊娠期間の精神衛生が良好であったことを知った私。
 妊娠前は、壮絶な日々であった。
 8人兄弟姉妹の第一子。昭和4年17歳で8人兄弟がいる開拓農家に嫁ぐ。
 我が子が1歳で死去。
 昭和12年10月に夫が右手ひじまで切断。死線をさまようも12月快復する。
 12月東京豊島区雑司が谷に転住
 1938年(昭和13年)9月29日私が誕生。
 
 
2、妊娠期と乳幼児期は、二人の姉と地域社会の人たちに優しく見守られて過ごす。
「母親の報神衛生」
 大家族からの解放感
 夫が命が救われる安堵感
 男の子が生まれた喜び(昔は・・・)
 二人の女の子が、私のお世話をする安定感
 地域社会の人に見守られて育つ安定感
 車が通らない路地裏の町並み
 
 
3、現在ある自分は、胎児、乳幼児期の母親の安定があったからであると、現在も確認しつつ人間の基礎研究をしています。
 76歳になっても、母親の存在と影響の大きさを学び続けています。
 生涯かけても、母親と胎児乳幼児期の関係を学び続けます。
 人間は、神秘と不思議に満ちている存在です。自分白身の可能性を求めて歩みましょうよ。
 例え、乳幼児期に悲しい体験をした人でも、成長する可能性があるのです。
 乳幼児期の事情を理解して下さる人が、ひとりいるなら人間には可能性があるのです。
 次回は、少年期に何を見て育ったのかをお話します。
(創造の森6月号に、テープおこしをしたものを載せます)
 
 
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