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月に一回発行される園内便り「創造の森」に掲載されている園長 木村 仁の父母に向けてのメッセージです
2013年度12・1月号
私たち大人は、子どもたちの未来に何を残そうとしているのか。
大人たちは、私たちに何を遺産としたのか。最も大切な遺産とは何だろうか。
園長 木村 仁
日本は、「文明砂漠」といわれて、何十年にもなる。
「文明国の子どもたちの目が輝いていない」と、よく言われている。
・自分を好きになれない
・自分を愛せない
・自分自身に夢が持てない
・自己肯定観が持てない
・何のために生きているのか分からない
・何のために学んでいるのか
これらは、文明国といわれている日本の子どもたちの思いであり悩みでもある。大人でも同じような思い悩みをもっている人は、多いのではないだろうか。
「考えても分からないことは、後回し」このような思想を持っている大人が多くなってきているように思う。「文明砂漠」とは、心の砂漠化が大きな要因であろう。
人間は、13歳前後から「自分とは何か」「生きる意味は何か」など考えるもの。戦後からの社会環境の激変でお金や物、学歴が中心となり「夫婦や家族が心地よい心の交流をもつための生活観」が軽視されてきた。家族が『みんなで生活を創る』という思想が徐々に失われてきた。
「子どもは、勉強が仕事」という『おかしな思想』ができて、『創造的生活観・みんなで生活を創る』という思いが失われ、自分や人生を省み未来や子孫に残そうとする意識、思想が大人たちから失われてきたことで、子どもたちにも「伝達・受け継がれる」ことが、薄れてきたのだ。
生きていくためには、人間であろうとするならば、上記「・・・」で掲げたことは考え続けなければならないことである。
しかし、文明国では、「・・・」が、蔑ろにされてきた歴史がある。これで、いいはずはない。親族間の犯罪や心の病、心のもやもや、大人たちはこのような社会を子どもたちに、残してはならないと感じているはずなのだ。気づいていても、なぜ行動に起こさないのだろうか。
実行するためには、莫大な時間とエネルギーと資金、それに伴う勇気と実現のための忍耐、「待たなければならない愛」を持たなければならない。人間のもっている無限の可能性を学び続け実践しなければならない。
私自身は、15歳頃より「・・・」を考え続けて60年、現在に至り、これからも、「・・・」を継続して、思考続けようと人生の計画をしている。
その結果が、現在の「トモエの生活」を創造し続けている。
人間生活の原則・法則を学び続けている。
私は、胎児・乳幼児は、人間の中で一番感性が優れていることを発見し続けている。胎児・乳幼児は、大人には、想像できないほどの能力を持っている。
私が言っている胎児、乳児の研究が基礎的な人間研究の基礎となるのだ。
胎児、乳幼児研究を重視しないことで、軸を失うことになることを、大人たちは忘れてきた。
その結果、自分を愛そうという意識がなければ、身近な人も愛せないのだ。夫婦、親子、親族、親友、家族、家庭等が人間生活の核となることが重んじられない社会になってきたと言えませんか。
私は、トモエの生活で実現しようと決心して40歳から行動に起こして現在に至り、何十年後何百年と続く『やさしさと配慮・愛』を創り出したいと計画している。
トモエの生活の具体的な創造は、主に以下に掲げるものです。
・ 「自分(人間・命)とは、何か」を、胎児や乳幼児の成長から体験的に学んでいる。人間の基礎研究は、胎児、乳幼児から学べるものである。
・ 「自分と人を好きになる原則」を、乳幼児が自発的に人を好きになり、好きな人と生活することで、自分と人を好きになることを学ぶ。
・ 「自分の言動を見つめ、自己コントロールする自分を知る原則」を、乳幼児が本音で表現することで、人を鏡として自分の言動を見つめ、自己調整をする原則を学ぶ。
・ 「自己肯定観の成り立ちを学ぶ」。乳幼児は、親や大人から信頼され見守られながら本音で表現する生活で、あるがままの自分を受け入れらながら、一人の人間として誠意ある関係を創造することから、自分の心の調整ができる。そこに基礎がある。
・ 「夫婦・親子・家族・生活を創る原則」を、家族が共に集い、互いに補い合って生きる日々の生活で、体験的に身につける。生きる意味の法則を「トモエの日々の生活」から思考し続ける。
・ 「自分たちが創造する生活から、子どもたちに何を残せるのかを考察する」意識して創造しなければ、素敵な遺産とはならない。
・ 『永遠に残したい遺産は、自分と人を好きになる生活』
・ 『永遠の遺産は、自分と人に優しさのある配慮である』
・ 『永遠に心に残る遺産は、誠意ある思いやりである』
トモエの実践は、ここにある。
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