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月に一回発行される園内便り「創造の森」に掲載されている園長 木村 仁の父母に向けてのメッセージです
2014年度5月号
「人間探求は、永遠に続くもの。人間は、人間を完璧に理解できないのだから・・」
人間は、不思議で神秘的な存在です。
人間は、無限の可能性を秘めているものです。
(人間探求は、生きるための基礎。幸せや平和的に生きる基礎。人間教育の基礎)
(人間探求は、学校教育の基礎をなすもの。人間探求=人間理解を続けることで教育は成り立っているのです)
園長 木村 仁
私が45歳の時に初めて出版したのが「人が好きになる子育て」(1984年)でした。46歳のときには、写真集「黒ひげ園長の生き生きファミリー教育」(1985年)を出版しました。
苦悩している私を見て応援してくださり二冊の本は出版されました。この本は、今までの私の実践を応援したいという人のご好意で出されています。資金がゼロから始まった“ばんけい”。しかし、多くの方の善意で創造できたにもかかわらず、ひとりの理事の我が儘に、私は5年もの歳月を苦しめられることになったのです。でも、その苦悩の5年間で私は大きな力を得ていたのです。そのエネルギーがビニールハウス幼稚園としてのトモエの創設により、2年間全国を騒がせる行為にもなったのです。「私にはあなたの教育観は理解できない。間違っている」という批判は、その後も多くの人から言われてきました。批判されればされるほど、私は、人間とは何かの探求が必要だという確信が強くなっていきました。私は、学校教育を研究実践してきたのではなく、学校教育の基礎となる「基礎的で総合的な人間探求(人間理解)・人間の幸せと平和的生活環境の創造」を実践しているのであり、それは、生きる意味の基礎になると確信しています。「学校教育のめがね」では、私の実践は見えにくいのです。
私は、一人の大人としても「生きた言葉・生きた行動」ができる人間になりたいのです。人の心に永遠に残る、人の優しさや配慮と思いやりを、子孫に残したいのです。これらは、人の幸せの基盤となるからです。今後何年も続けて書こうとしている
『人間探求(人間理解)=人間の素晴らしさ、神秘と不思議の研究と実践』を書く前に30年前の園長の思いを再確認したいとおもいます。みなさんのご意見を聞きたいですね。
自著『人が好きになる子育て』(一光社 1984年)の「はしがき」と「あとがき」。『黒ひげ園長の生き生きファミリー教育』(491アブァン 1985年)の「はしがき」と「あとがき」を載せます。
45歳から46歳の時の熱き思いが書かれています。私はそう思っているんですけどね。あれから30年が経ち、自分自身現在までどう変化してきたのかを再確認します。再確認は、トモエの今後の成長のための力にしたいと思っています。自分自身に期待して前進します。
みなさんも一緒に歩んでくださいますようお願いします。
『人が好きになる子育て』 はしがき
わたしは、人間にとって最大の幸せは人間同士が互いに好き合って生きることだ、と思っています。お互いに 「わたしはあなたが好き」 と言い合える相手を沢山持っている人が、最高に幸せな人だと思っ ています。
人を好きになり、人から好かれるには、互いに深く理解し合い、信じ合っていなければなりません。
では、信じることが好きになる条件だとすれば、人を信じるとはどういうことなのでしょう。相手を 理解したつもりでも信じられないという人はいくらでもいますし、理解もしないで信じる人もいます。また世の中には、人を信じたら裏切られるだけだといって、絶対に信じようとしない人だっています。
この矛盾は、どうやらそれぞれの人自身の中にあるようです。人を信じられない人は、自分をも信じていません。人を理解できない人は、自分のことも解っていないのです。人を理解し、信じ、好きにな るには、自分を理解し、信じ、好きでなければできない相談なのではないでしょうか。自己発見、自己理解・・・人間の幸せが人を好きになることだとしたら、幸福の第一歩は自分自身を見つめ、理解するところから始まるのではないでしょうか。だ って、自分が信じられないで、つまり、“自信”がなくては何事も始まらないじゃありませんか。
このように考えてきて、わたしは、子どもの教育の究極の目的も、「子ども自身に自己を発見させること」だと思うようになりました。子どもたち一人ひとりが持っている個性、能力、可能性といったものを子ども自身に知らしめることのために学校や幼稚園はある。自己発見した子は、自分で勝手に個性的に伸びて行くものだ・・・このわたしの信念は、年々ゆるぎないものになってきました。
人間が人間らしい発達を遂げ、人間が好きになる人間になるだめには、どうしたらいいのでしょう。この答を追い求めて、わたしは幼児教育の世界で16年間頑張ってきまた。
幸いなことに、わたしの心の中に宿った教育理念は、日本の教育基本法の理念と一致していました。しかし、日本の教育の現状は、その高い教育理念とはかけ離れ、逆行しているように思えてなりません。ですから、まことに不思議なことに、わたしが教育基本法の精神にそって 「当たりまえ」 のことと思ってやってきた教育実践が“異彩を放つ”と見られだしたのです。わたしが、自分のやってきたことを世に問うてみようと思った所似です。
この本は、わたしたちばんけい幼稚園の実践の中間報告だと思っています。皆様の暖かいご批判を待っ ています。
木村 仁
『人が好きになる子育て』 あとがき
黒柳徹子さんは、その著 『窓ぎわのトットちゃん』 のあとがきで、次のように述べています。
「日本にも、沢山の、いい教育者の方はいらっしゃると思います。みなさん、理想も愛情も夢も、お 持ちと思いますが、それを実際のものとするのが、どんなに難しいか、私にも、よくわかります」。
わたしは、スイスの精神医学者ポール ・トルニ エの 「新しい失敗を恐れることが、 新しい試みの大き な障害となる」 という言葉に励まされて歩んできました。
わたしには、今、この 「難しいこと」 「新しい試み」を、どうにかやりとげられたのだという実感があります。
幼稚園づくりという道は、確かに、険しいものでした。が、ひとたび、その道を歩き始めると、実にたくさんの人びとが、わたしと歩みを共にしてくださったのです。時には、くじけそうにもなりましたが、そのたびに、これらの人びとの信頼と協力にあふれた目に、どれほど勇気づけられ、励まされたかわかりません。
教育の基本もまた、この人と人との信頼の中にこそある、とわたしは、声を大きくしていうことができます。現代の教育が、果たして、この基本の上に成り立っているものかどうかは、し細に検討するまでもないでしょう。実態は、全く逆であり、多くの「学びの場」では、子どもに知識を “与える”存在 としての教師と、その受け手である子どもとの関係が当然のこととしてまかり通っています。
教師や親は、学ぼうとする子どもにとって協力者でこそあれ、彼らに何かを “与える”ことのできる存在ではありません。そう、 “与える”ことができるといえば、せいぜい、子どもたち自身が自分の可能性に気付き、自己のすばらしさを育て養えるよう物心両面の環境を整えてあげることぐらい。これは、上士幌時代から数えて十五年余に及ぶ幼稚園長としての体験の中で、わたしが、骨身にしみて学んだこ とのひとつです。
その物心両面の環境については、本書ですでに述べましたが、乳幼児期において、なにより大きいのは、母親の存在と、もうひとつ大自然との両者のスキンシツプでしょう。とりわけ母親が精神的に安定して子育てができるというのは重要なことで、そのためには、家庭の基盤となる豊かな夫婦の愛が欠かせません。これに、自然との触れ合いという環境が加われば、 もう鬼に金棒。子どもたちは、その中で、人を愛する喜びを知り、人の心の傷みを自分のものとして感じられる人間として育っていくはずです。
ばんけい幼稚園の教育が、こうした信頼関係を基盤としているように、本書もまた、さまざまな信頼と協力を土台に生まれました。そう、本書に込められているのは、わたし一人の思いばかりではありま せん。実に大勢の人びとの深い心がいっぱい詰まっているのです。
まず第一に、自分のことのように熱心に、ばんけい幼稚園での日々を本にするために努力してくださった一光社社長の鈴木大吉御夫妻に、お礼を述べ なければなりません。北海道新聞記者の吉柳克彦氏には、忙しい時間を割いて、わたしのつたない原稿を 「読めるもの」 にする指導と協力をいただきました。そ して、幼稚園の理事、教師、父母のみなさん、わたしの仕事の源泉であり、支えである子どもたちの一人一人にも、心からありがとうと申し上げたいと思います。
今は亡き妻の母、それにわたしの母に、この喜びを分かち合うことのできないのがとても残念です。 「親孝行したいときに親はなし」 とは、よくいったものです。わたしのことを一番心配し、 助けてくれたその二人の母に、妻洋子ともども 「ありがとう」。そして最後に・・・
この本を読んでくださった読者の皆さん、ありがとうございます。世の中、 捨てたものではないことを伝えたかったのです。読者の中から一人でも多くの方が、未来の子どもたちを思い、教育の再生のために歩き出していただければ、わたしにとって、それ以上の喜びはないでしょう。やがて、日本のあち こちに、第二、第三の 「トモエ学園」 が生まれるのも夢ではないと思います。その日が一日も早いこと を願って、わたしは、これからも、子どもたちや、真に子どもを理解しょうとする人びとと手を携え、この道を歩き続けていく覚悟です。教育とは、共に育て、共に育つものであることを報告させていただ きました。
本書をお読みくださった読者の皆さん、「ばんけい」にご来訪ください。お会いできることを楽しみにしています。わたしは 「人間が大好き」 です。
1984年9月 木 村 仁
『黒ひげ園長の生き生きファミリー教育』 はしがき
だれもが一度は子どもだった
自然の中に身を置く「快さ」を
子どもの心が見えない。大人は、今、子どもたちに何をしてあげられるのか。
いじめ、登校拒否、校内暴力。もう、すっかりお馴じみになった教育現場での子どもたちの荒れようが激しさを増すにつれ、大人の側からは、こうした問いかけが一層活発に行われているように思われます。つまり、教育現場の直面している状況を打開する糸口は、いまだに見つかっていない。教師、父母らの絶望的な表情は、このことを如実に物語っているといえるでしょ う。
しかしながら、この問いかけに解答を見出すという作業は、それほど難しいことなのか。実のところ、 私には、それが不思議でたまりません。何故って、どんな大人でも、一度は、子どもだったことがあるはず。自分がたどってきた道をし細に振り返りさえすれば、子どもたちが何を思い、何を感じているか、比較的容易に推測できると思われるからです。
例えば、この作業に当って、「快」「不快」という目安を設けたとしたらどうでしょう。大人である私たちが、まだ子どもだった時、いったい何を「快」と思い、何を「不快」だと感じたのか。
対象を物理的な環境に限定すると、私自身真っ先に思い出す「快さ」は自然です。ふと目をつぶる。 すると、幼年期、少年期を通じて、私にとっては、空気のような存在としてそこにあった自然が、感覚の中に鮮やかによみがえります。ムッとするような草いきれや黒土のにおい。緑の木々を揺らす風。その緑をキラキラと輝かせながら柔らかな光を投げかける木もれ日。そこに身を置いた時、幼い私が、 このうえもない安らぎを感じ、精神が解き放たれたような思いの中にいたことはいう までもありません。
「快さ」の体験は、これ以外にもあり ます。自分の力で何事かを成就した時。あるいは、それが喜びであれ、悲しみであれ、感動で心が打ち震えた時。そしてまた、親や教師、友人が、自分を信頼し、認めてくれていることをしっかりと確認できた時。
教育の場は軍隊ではない
反対に、「不快」な思いをした時のこともはっきりと思い出せます。自分の意志とは無関係に、やりたく もないことを無理にさせられた時。子どもなんだから、一人前ではないといわれて、大人に従う ことを強いられた時。外にも、まだいろいろな事があり ますが、少し抽象的な言い方を許していただけるなら、これらは、いずれも「強制」という言葉で要約できるでしょう。人は、だれだって、自由でありたいと願うもの。その自由を、大人は子どもから一方的に奪うのです。
こうした子どもの「快」「不快」に目を向けつつ、現代の教育現場を見度すと、そこでは「不快」なことばかりが幅を効かせて、「快い」ことがいかに少ないかわかります。好むと好まざるとにかかわらず、子ど もは、まず学校に行かねばならないとされ、日々、机に向かうことを強いられます。そこでは、軍隊のような規律があり、子どもたちは、それを守ることを強いられる。おまけに、テストの結果がすべてであり、 よい点数をとらなければ、この競芸社会では生きられないといった "価値基準〟まで強いられるのです。
このような世界に身を置けば、私なら、きっと、すぐにも逃げ出したく なります。登校拒否や校内暴力に走る子どもたちの精神は、その意味で、人間としてはごく正常であり、非があるとすれば、子どもたちをそこに追い込んでいる学校や教師に求められます。少しばかり様相を異にするいじめだって、その病巣は同じ。「不快」なことばかりが充満する学校で、神経を擦り減らし、うっ積した心を募らせる子どもたちが、その吐け口を、自分より弱い子どもに向ける。これが、今、学校にはびこり続けるいじめの図式です。
上士幌町の愛光、そして、札幌市のばんけい、と私はこれまで、二つの幼稚園で、たく さんの子どもたちと関わってきま した。そこに、ー貫した教育観、あるいは教育方法と呼べるものがあったとすれば、それは何なのか。難しい言い方はさておき、私には、この答は実にはっきりしています。子どもたちにとって「快い」ものをふんだんに用意し、「不快」なものを極力排除するこ と。
例えば、ばんけいでは、どのような場合であれ、笛を使いません。教師の思いのままに子どもたちを動かそうとする規律がないのです。だから、よその幼稚園なら、事故を恐れて、真っ先に禁止されると思われる屋根遊びも、ここではオーケー。そんなことをしたら危険じゃないかですって? 心配はご無用。教師の存在は、そうした危険から子どもたちを守るためにこそあるわけですし、何よりも、子どもたち自身が、経験の中で、何が危険であり、何が安全なのかを、学んでいくものなのですから。
「信頼」 と 「共育」 と
もちろん、ばんけいには、150万都市札幌ではめったに得られない物理的環境としての自然も、ふんだんに用意されています。山、川、あふれるほどの緑。その中で、子どもたちは虫を追い、泥まみれになりながら、既存の幼稚園や学校で教師が教えようとする以上のことを、自らの力で学んでいきます。 そう、ばんけいでは、地球上のあらゆる場所が教室であり、あらゆるものが教材なのです。
こうした "ばんけい流〟の教育のバックボーンが、子どもたちに対する信頼にあることはいう までもないのですが、加えてもうひとつ。ばんけいの教育を支えているものに、お父さん、お母さんの参加があることを強調しておかなければなりません。だれでも、来たい時に園に来て、教師と共に子どもたちと一日を過ごす。これは、親にとってひとつの "実習”であり、ばんけいでは、この親子ぐるみの「共育」 がとうの昔に定着しているのです。
アメリカのフリースクール「クロンララ校」の校長、パッ ト・モンゴメ リー女史は、教師は、子どもたちの発する電波を捕らえるアンテナを持たねばならない、と言っています。が、一本のアンテナの精度がどのように高くても、すべての子どもたちの電波を捕らえきるのは至難の技。そこで、ばんけいでは、教師集団が情報を交換し合い、その情報を明日の教育のバネにするチーム・ティーチングを取り入れています。しかも、そのアンテナの一本一本が、日々、精度アップを求めて、人間として他人の痛みを知り、その痛みを分かち合う心に磨きをかけている。このことを、改めて、述べておかなければなりません。
そのばんけいで、 子どもたちがどのように育っているかは、この写真集が、言葉で伝える以上に、はっきりと物語ってくれることでしょう。最後に、ひとつだけ、この写真集に目を通していただく方々に、お話しておきたい夢があり ます。愛光、ばんけいの教育を土台にした、新しい幼稚園、そ して小学校づく り。すでに、札幌市南区北の沢に用地確保のメドもつき、ばんけいの教師たちは、この新しい夢に向かって一歩を踏み出しました。教育の荒廃が叫ばれる時代だからこそ、動き出さねばならない。そんな思いで、私たちは、今、「人間を信頼し合える教育」「子どもたちが 『快さ』 をふんだんに見つけられる教育」の翼を広げようとしているのです。
木村 仁
『黒ひげ園長の生き生きファミリー教育』 あとがき
私はこの「あとがき」を、ニセコ東山プリ ンスホテルの一室で書いています。一枚ガラスの大きな窓から見える自然の美しさに私の心は震えています。緑鮮やかな芝生が描く線。芝生に点在する白樺の木々。そして、きれいに色づいた紅葉・・・。
この安らぎを何にたとえたらよいのか。ふと、私は、自分のまだ幼かったころのことを思い出します。そう、母の胸に抱かれ、安心しきって眠っていた幼児のころを。
振り返れば、私の実践の裏付けとなった教育観、人間観もここにあったのだと思います。母と大自然の懐に抱かれて、初めて人は人の心を身内に育んでいく。上士幌町の「愛光」、そして札幌市の「ばんけい」 、二つの幼稚園で行ってきたことは、この具体化だったともいえるでしょう。
私は今、教師九人と「心の旅」のためにここに来ています。己の心がよく見える人になるための旅。だから、二泊三日は、無言の生活です。ただひたすら、自然と自己との対話があるだけで、外部の刺激は一切遮断した状態。
この自然との対話を通じて、私は、自分自身を一層深く見つめています。自身の言葉や行動が、どのような心理状態から発せられるのか、如実に見えるようです。そのことによって、私は、自身の内部を見きわめる目と、それをコントロールする力を得られると思っています。いや、そうでなければならないというべきでしょ う。子どもとは、大人の生きざまを見て育つ存在なのですから。
教師として生きることによって、私は日々子どもと共に歩むことの恐ろしさと重要さを感じ続けてきました。同時に、幼い子ど もたちの持つ心の美しさ、その素晴らしさに感動し続けています。この写真集は、その恐ろ しさ、感動の中身を言葉以上に適切にみなさんに伝えてくれるものと思います。
「ばんけい」のファ ミ リー教育は来年の春で一区切り。4月には、新天地北の沢の自然の真っただ中で、新しい飛躍に向おうと しています。その名も「創造の森学園 ・札幌 モエ幼稚園」。よろしかったら、私たちと一緒に歩みませんか。たくさんの人を好きになり、たくさんの人に好かれて楽しく生きるために。たく さんの素敵な心と出会うために。そして、「創造の森」の創造のために。
最後になりま したが、この写真集の出版に当っては、㈱491アヴァンの新妻達雄氏、並びに北海道新聞記者・吉柳克彦氏にひとかたならぬお世話になりま した。誌上を借りて心からお礼申し上げます。
1985年10月8日 木村 仁
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