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月に一回発行される園内便り「創造の森」に掲載されている園長 木村 仁の父母に向けてのメッセージです
2014年度6月号
「母たちの勉強会「自分を知る」(園長の講演より)」
第1回 「自分を感じる」(不安と気づき) 5月9日(金)12時45分~
キーワード
みんな赤ちゃんの時代があった
個性気質の基礎はここにあり~赤ちゃんの驚異
母の特権~我が子を通して自分を知る
男との違い
司会 山田綾子さん
「知る」の意味(辞典『広辞苑』から)
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ある現象、状態を広く隅々まで自分のものとする
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ものごとの内容を理解する、わきまえる、悟る、
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見分ける、識別する
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ある事柄の存在を認める
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ある事柄の起こることを悟る、推知する、予見する
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経験する
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かかわりを持つ、感知する
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(打ち消しの意味)できない、不可能、一切それをしない
園長
お久しぶりです。というのは、ここ何年もあまり講演をしていないんですね。なぜかというと、知らない人に私の何十年もの研究を話すと分かりにくいし、私の脳の関係で分かりやすく話すことも難しいし。園長の話は難しい、難しいと言われるから、やっぱり難しいんだと思っちゃっていたのね。知らない人に話をするよりも、いつもここにいて知っている人に話す方が、私の言葉が伝わることが多いということを知って、講演を頼まれてもあまりしないことにしています。30代の頃は、牧師だったので、毎週水曜日と日曜日、聖書の勉強会や説教で話をしていたのですが。今は、みなさんと個人的に話をすることを望んで、あまり講演はしません。それで、「お久しぶり」ということでした。
今日こういう形でお母さんたちが自主的に、自発的に、話をしてほしいと言われて話ができるのは、身に余る光栄でございます。ありがとうございます。
今綾ちゃんに打ち合わせで調べてくれていた「知る」という意味を羅列してもらいました。牧師時代には言語の意味を調べる訓練をしていました。日本語だけでなく、英語、ヘブライ語、ギリシャ語の意味も調べました。
例えば、「罪」は、ギリシャ語では「ハマルティア」(hamartia)といいます。ギリシャ語の「ハマルティア」という言葉の意味は、「的はずれ」ということです。これは、普段皆さんの夫婦関係や親子関係の中にたくさん含まれていることだと思います。的はずれな会話があまりにも多すぎると、人とコミュニケーションできないでしょ。的はずれな会話が多くなる原因は、自分とのコミュニケーションが的はずれだからです。自分とのコミュニケーションが上手くいかないと、人とのコミュニケーションも上手くいかない、それが基礎なのです。
私は、基礎的で総合的な人間研究をしてきました。卒園のつどいでは、大きな丸い風船を天井からぶら下げているのですが、風船を下げるのには意味があります。乳児には、色々な方向から球体的にものを感じる力があるということなのです。その球体を風船であらわしています。大人では想像がつかないような球体的にものを感じとる能力を、赤ちゃんは持っているということです。
みなさんも赤ちゃんの時があったわけでしょ?
あるフランスのお医者さんは、6か月までに個性とか気質の基礎がつくられると言いました。しかし、私はその時期はもっと早いと思います。胎児期から積み重ねられてきているものによって、個性や気質の基礎がつくられます。みんな赤ちゃんの時があって、赤ちゃんの時にどう経験したか、それが個性や気質の大きな要因です。
「自分を知る」ための基礎は、自分の胎児期から調べなければなりません。トモエにはスタッフと研究するための資料がたくさんあります。「人はなぜ愛するか」や「生命の誕生」などです。自分を知るためには、「自分の根源」が分からなければならないのです。
「命の誕生」も男女の信頼によるものです。女性が心を許して、肌を許さない限りは、命の誕生はありえません。それが道徳的な思想の基礎なのです。道徳や性教育の本当に一番大切な部分が、男女のふれあいと命がどのように生まれるか、つまり女性がどう肌を許すかということです。
このような基本的なことを知らないと、結果的には今の現代社会のように、生活や家族を大切に思わないで、上っ面だけをすぅーっと流れていってしまいます。ケーキをちょっとなめただけで、中に色々なものが入っていることも分からずに、おいしいねなどと思ってしまうようなものなのです。
やはり、「知る」ということの大切さは、自分を知らないと、人とのコミュニケーションもうまくいかないというところにあります。
私が、最終的にお母さん方に伝えているのは、自分を知って自分をどう調整し、コントロールしていくかで、結果的には、良い家庭の雰囲気をつくることができて、子どもとも家族とも良いコミュニケーションが持てるということです。夫や子どもに求めてもダメよ。大切なのは、自分が、自分とどのようなコミュニケーションをとるかです。
これは、1981年に出版された私の師匠であるポールトゥルニエの『女性であること』という本です。ポールトゥルニエはスイスの方で、1977年に札幌の天使女子短期大学に講演に来たことがあるのですが、その講演がきっかけでこの本を書こうと思い立って帰って行ったそうです。そして、2年後の1979年にスイスでこの本が出版されました。
私もこの本が出版される以前に、この本に書かれている次のようなことを感じていたのです。
「現代人は自分自身とのコンタクトを失い、他者とのコンタクトも失っている。そして、大自然とのコンタクトも失っている」
10年くらい前の話ですが、5、6年トモエに来ていたお母さんが、卒園して1年後に来て「園長、あの山は何という山ですか?」と聞いたことがありました。私はそれを聞いてぞっとしました。あんな大きい藻岩山を見ていなかったと言うのです。
今話をする前に、私は30分ほど新緑のきれいなのを意識してずっと見ていました。意識して見ないと自然も皆さんの心から失われてしまうのです。
私がなぜ自然にこだわるのか。4月5月に何で崖を登らせるの?よく登るでしょ。それは、登る時に地面に鼻が近づくから、土のにおい、木や草がバクテリアで腐るその菌のにおい、発酵菌とも言いますが、そのにおいを感じられるからです。土のにおいを感じることを目的にして、40年前にばんけい幼稚園で崖登りを始めました。やはりすごいにおいだと思いますよ。そのにおいなどの五感に訴えるのは大自然です。特に9歳くらいまでは、その大自然から子どもを切り離してはいけないのです。
そのまねをして自然の中で幼稚園をしている人たちも増えてきましたが、大人たちや、教師たちが、自分とのコンタクトをとれるような環境を創らないで、自然だけを求めてみても意味はありません。
昔、2歳3歳から塾で色々な形で勉強して、1年生に入るときには5年生6年生の勉強がある程度できるような子どもたちがいました。その塾は何十億産業になり、世界にはばたいている企業です。しかし私はその創業者は、はじめは自分の子どもが勉強しやすい方法を考え出しただけの話だと思います。それが大きな社会現象になってしまっています。
未来の子どものことを考えて大人は生活しないと、心を徐々に失うような社会を遺してしまうのです。毎日その勉強をやらないと、たとえ親がやめようと言っても恐怖でやめられなくなってしまう子どもになってしまうのです。
そういった親子の心の病を治そう、癒そうとして、私は今まで努力してきました。自分を知ることなしにうわべだけの問題点に走ると大変なことになってしまうのです。私は今から45年前の30歳の時、牧師になって1、2年で、すぐに感じてしまったのです。
私は、15歳から自分とは何かについて考え続け、自分と楽しくコミュニケーションを持ちたい、どういう環境を創ればどうなるかということを一生懸命考え、勉強していました。アメリカにも2か月間行って共同体研究をしてきたり、色々なことを勉強してきた結果、40歳でこのような環境を創ろうと決心して35年になります。
次のような文章を見て、自分の生き方が間違いではなかったと本当に思います。
『現代人は自分自身とのコンタクトを失い、他者とのコンタクトを失い、大自然とのコンタクトを失った』(エーリッヒ・フロム『愛するということ』)
もう40年くらい前から、今の社会には、そのような雰囲気や環境が無くなっていました。誰が創るのかと考えた時、気が付いた自分が創ろうと決心して、ばんけい、トモエを創って現在に至っています。
1か月に1回や2回山や畑に行くのではなく、生活のリズムとして自然を感じる環境、それが五感を刺激する大きな力なのです。
昨日家内に付き合って、東儀秀樹さんのワークショップに行って雅楽の世界を勉強してきました。
彼がフランスに行った時に草原の中で雅楽を演奏したら、牛が何十頭も寄って来て、襲われるのかと思ったら、2メートルくらいのところでピタッと止まって牛がですよ、聞いているんですって。終わったら、すぅーといなくなったというのです。雅楽の音は自然の音に近いらしいですね。木とか風の音とかね。
彼がインドに行った時にやはり外で演奏したら、象が鼻を上げて近寄ってきたので、踏みつぶされるのかなと思ったけれど、そのままずっと演奏していたそうです。すると象がそばまで来て鼻を上げてじっと聞いていたそうです。象は鼻が人間の指先と同じで、物をつまんだりすることができます。鼻の先の尖ったところで小さなものまでつまむ力を持っています。雅楽を吹いている所にその鼻で触りに来たそうです。すごいですね。
もう一つ良い話。ゴールデンウィークに5、6家族が定山渓でバーベキューをした時の話。終わりかけて片づけるよーと言っていたら、5、6人の子どもたちが、園長がいつも手品の時にかけている「オリーブの首飾り」の曲をかけてくれと言ったので、大人がその曲を流したら、前から仕込んでいた手品があって、手品ショーをしたそうです。今までにない感覚があって、大人みんなが感動したという話です。
普段の生活が彼らの命とか息吹になっているわけでしょ、そういう感覚を彼らは持っていて、象さんとか牛さんと同じようにものを感じる能力があるのです。手品の時も、幼稚園の子どももいて、小学生、中学生もいたのかな。彼らは、自然な形でそうやって生活の中で楽しい雰囲気を創る能力を持っているのです。
これは、私が創った図です。
すべて人間は、男女の信頼関係によって命が生まれ、受精してからだいたい45日で手や足などの人体の組織の形が生まれてきます。
そして妊娠中のお母さんの精神衛生が良ければ良いほど、出産後もその妊娠中のお母さんの精神衛生が赤ちゃんに影響し続けるということを私は論文で書こうと思っています。それくらい女性は命の育みに大きく関与しています。
男性は理性的で論理的で、ものを幅広く、深く判断できる部分もあります。一方女性は、悪い意味で、子宮でものを感じる、あるいは感情的とよく言われます。しかし私はそれは男に無い感性であり、すばらしい直感能力を持っているのは、子を産む体と心とホルモンを持っている女性でしかないと思っています。
みなさん、特にお母さん方は、もっと自分を知るべきだと思います。男性も女性を知るべきだと思います。自分がどんな存在であるのか、どういう動物であるのか、どういう感覚を持っているのか、どういう感情を持っているのか、「年寄りに聞いてください」。そのために毎日ここに詰めているのですから。
私は、集団指導をしたくないから、一生懸命一人一人に個人指導しています。それぞれ個人個人違うから、一人一人に波長を合わせることは難しいので、集団では指導できません。一人だとその人の波長に合わせて会話することができます。3分の2かある時は5分の4くらい波長が合って、コミュニケーションが上手くいっているな、あるいは相手を理解しているな、また私の言葉も理解してくれたなと感じ取れる感覚があるのです。そのことに喜びがあるから、私は一切ここ(「トモエ」)から離れたくないのです。自分が話したことによって、相手がすごく感動して相手がその瞬間に変わり、次の日来た時にはもっと変わり、目の輝きが違っている姿を見られると、コミュニケーションができていることが分かりうれしいからです。そしてまた相手を理解するための新しい能力も自分の中に湧いてきているのが分かるのです。それが分かりますか?それを一番感じるのは、お母さんたちです。妊娠中の女性が本当にうらやましくなります。お腹の大きいお母さんが階段で腰が痛いと言っているのを聞くと、私も腰が痛いけれど痛さが違うのです。私もお腹が大きくなりたいと思って、段々大きくなったけれど、今は小さくなりましたが。本当に男にしてみれば、特に人間研究、女性研究、お母さん研究をしてきた私にとっては、妊娠できるのがうらやましい限りです。男性には絶対にできないことだからです。みなさんもお母さんのお腹の中から生まれてきました。それは、最も大切なことでしょ。人を産むか産まないか、女性が中絶してしまえば、命は生まれないわけでしょ。
私は、色々な形で、紀元前からの人間の営みや、戦前、戦後からの今の社会について、牧師としても研究してきました。特に戦前までは軍国主義で抑圧されて思想統制までされていましたが、戦後は急に開放的になって、ものがない、お金がない、食べ物がない時代になりました。そのうち昭和30年代ごろからだんだん高度成長期になって、ものが豊かになって、勉強ができて、学歴があれば将来公務員になって楽な生活ができるという思想が、お母さん方の中に今でも怒涛のように流れています。もう“その流れ”は現代社会の人間にはどうすることもできない世界でしょうね。
“その流れ”を止めるためには、人間の五感を幅広く深くシゲキして、人間の豊かな感覚を取り戻すしかないでしょう。
来月の金曜日に、卒園生のお母さん方が来て、放射能のことなどについて話をしてくれるようですが、放射能も原発も人間が作り出したものは、問題だらけです。彼女たちが話をした後にお土産として持って帰ってもらいたいなと思うことは、その基礎として、自分がどういう人間であり、どんな素晴らしい能力を持っているのかということを知らなければならないということです。
だから、そんなに学問的に勉強することはないと思います。その辺から本を引っ張り出して持って行って、基本的なことを積み重ねていけばよいのです。
人間を大切にする社会創り、人間の無限の可能性を信じられる社会(教育)創りが出来る大人になるための人間教育等、人間の幸せを創造する人間創り、基礎的人間研究が不可欠なのです。
胎児期、乳児期の快不快の原則を簡単に言うと、乳幼児期6年間に、快の経験、心地よい経験を多くすればするほど、安定した人格形成ができます。しかし、乳児期に不快が50%、60%を占めてしまうと、常に大きな声でどなられたり、どなる声が聞こえたり、冷たい手でおしめをかえられたり、イライラしておっぱいをもらったりした子どもたちは、不安定に育つと思います。
今子どもたちの睡眠時間が圧倒的に少なくなっています。私の書棚に本がありますが、睡眠障害でイライラしたり、不安定に育つ子どもが圧倒的に多いのです。
ばんけい時代は、最低10時間は子どもたちを寝かせてくださいと言いました。お父さんが遅く帰ってきて、子どもを起こすサイクルもつくってはいけない。できれば、11時間、12時間寝た方が、昼間に脳が活性化して、色々な良い刺激を受け入れることができます。しかし、今の子どもたちは、テレビを見たり、テレビゲームをしたりして夜遅くまで起きているので、イライラしたり、不安定になったりするのは当たり前なのです。
私も若い時は、睡眠時間が5、6時間で仕事をしていた時もありました。しかし、今は絶対に8時間、9時間は寝る習慣をつけています。そうでないと、昼間、脳が活性化しないんです。我が子もそうです。小学校に上がったら、8時になったら、「子どもは寝る時間」と言って、何も言わせずに電気を消してしまうのです。
トモエは自由なように見えても、最低限守らなければならないことは、睡眠と食事です。自分が傷ついた時には、どならずに、私は嫌だとはっきり理由を言った方が良いのです。夜睡眠を十分にとる子どもは、大人になっても習慣としてきちんと睡眠をとる人になっています。
子どもは学校に行くと、勉強よりも、友達や先生に対して気を使うことの方が圧倒的に多いと思います。睡眠が十分で、脳が良い状態で、感覚がすぐれていないと、イライラしてしまって、上手くコミュニケーションがとれないと思います。皆さんもそうだと思います。夫婦関係でも親子関係でも、睡眠不足だったり、体調が悪かったりすると、イライラすると思います。
やはり睡眠がいかに重要であるか。夫がお酒を飲んで帰って来ても、起こしたらだめと言って、子どもに十分睡眠をとらせなければなりません。昼間、上手く生活できなくなってしまうからです。
次に、赤ちゃんのことを話します。
私のそばには、赤ちゃんのベッドが3つあって、この何十年間か赤ちゃんの研究観察をさせてもらっています。赤ちゃんは、私の目を見てコミュニケーションをとります。
そしてあちこちに貼ってあるように、
『子供は大人から敬意を払われた度合いに応じて自分の人格を意識する』
のです。
私が、一生懸命誠意を持って、余裕を持って、子どもたちとかかわれるようになればなるほど、赤ちゃんは私の額を見るのです。赤ちゃんは、私の目と額を交互に見ます。私の前頭葉から何か出ているのかもしれません。そこから誠意の度合いを感じることができるのかもしれません。
その後1歳2歳3歳になっても、私とのコミュニケーションを求めて、私のところによく来てくれます。私とのコミュニケーションでは、子どもたちの反応が本当に良いのです。赤ちゃんは、生まれてから誠意を持ってかかわってくれる人の目を見ています。確かに、赤ちゃんは、おぎゃあと生まれてから、口でおっぱいを飲んだり、便をしてお尻で感じると言います。しかし、私はお母さんの手のぬくもりと、やさしいタッチ、あるいは目から刺激を受けている方が大きいと思います。特に3か月4か月くらいまでは、目の働きが圧倒的に大きいと思います。目で何を見たか、相手の目がどんな目であるか。彼らはただ100%受けるだけなのです。我々も赤ちゃんの時に、目で何を見たかが脳の発達に大きな影響を与えているようです。
私がポンポンと色々なリズムで口の前で両手を鳴らすと、赤ちゃんたちはリズムをとります。すごく良い反応をしてくれます。足だけ振ってリズムをとってくれる子もいます。そして、お母さん方に聞くのは、子どもの発達が早いということです。母離れも早いです。今日も、お尻からではなく、頭から階段を下りていた10か月の子がいたので、危ないと言わずに、もし落ちてきたら下で受け止めようと思ってみんなを呼んで見ていました。最後の一段は手が届かなかったのか、ちょっと躊躇して、ぽんと座ってしまったのですが。
赤ちゃん観察してきて言えるのは、赤ちゃんの時にかかわる人の誠意の度合い、どう自分を見てくれているのかで、個性とか気質の基礎がつくられるということです。先ほどの“あるべき姿の三角形”の図でいう、赤ちゃんの驚異、赤ちゃんは100%感じとる能力を持っています。はじめは目から。それから段々と、指先とか足を動かして、分散するのでしょうね。
彼らは目で見抜く力があります。ですから、牧師時代には分からなかった聖書の言葉の中に、キリストが赤ちゃんを抱っこして『この幼子を受け入れる者は、神を受け入れるのと同じである』という言葉があります。そして、この幼子を受け入れる者は、天国に行けるよといっています。その思想の中では、赤ちゃんを神と同じ存在においています。
牧師時代から45年このような研究をしてきて言えるのは、本当に皆さんも含めて赤ちゃん時代に、何を見て、何を感じてきたか。それで苦しんだり悲しんだりしている人も多くいると思います。今まで、何十時間、何百時間とたくさん話を聞いてきました。私は、自分の無限の可能性も信じているから、相手の可能性を信じて、寄り添い、その人とかかわるのです。そして、確実に治っていくんですね。癒されていきます。あるお母さんは、自分のお母さんと電話で話をして良い関係をつくったり、お母さんに手紙を出して良い関係をつくった人もいます。心の傷を持っているのは、苦しんでいるのは、お母さんとの関係が大きいです。やはりお母さんとの関係が確立されると心の病は治ってしまいます。お母さんは大きい存在ですね。
ポールトゥルニエも『女性は、男と張り合ってもダメ。男になってしまうと人間として価値がなくなる』という言い方をしています。『女性は、女性なんだ。男性は子どもを産めないけれど、あなたは子どもを産める、その働きを否定してはだめだ』と言っています。
だから、私は『お母さんありがとう』の歌を、皆さんへのメッセージとして私の体験も含めて、作詞しました。お母さんというのは、子どもを本当に愛おしいと一生懸命思いながら、頬ずりしたりして、自分の命も含めて、自分を愛おしいと感じとることができます。だから、妊娠、出産できるお母さんが本当にうらやましいです。今日も、赤ちゃんをおんぶしながら上の子と遊んだり、双子ちゃん見ながら、よその子も見たりするお母さんたちを見ていて、本当に頭が下がります。男にはできません。だから、女性は、男になろうと思わないでください。絶対に男と競う必要もありません。女性というのは素晴らしい能力を持っているのだから、誇りに思ってほしいです。そのためには、女性であることが何なのかを自覚して、確信を持っていないと誇りに思えません。それを私は生活の中で、一生懸命言葉だけでなく、行動でも表しています。だから、「理解」についてのプリントを皆さんに配ったり、あるいは色々な本の紹介をしたりしています。
今日は、「自分を感じる」がテーマですが、お母さんは、赤ちゃんを抱っこしたり、一緒に生活したりすることで、男性以上に、色々なものを赤ちゃんから学びとることができる存在なのです。その赤ちゃんから学びとったものを、男性にどう分かち合うかということも考えてしてほしいと思います。
今日のテーマ「自分を感じる」の後に括弧して不安と気づきとありますが、不安なのは、物事について知らなすぎるからです。不安になったら不安の原因を考えて、それについて知れば良いのです。
私は喘息になって、肺の働きとか色々なことを勉強しました。めまいがしたので、めまいの勉強もしました。3月、4月はめまいで船酔い状態だったので、すぐに病院に行きました。そして、厚労省がめまいの薬だと認めていないために、保険のきかない帯状疱疹の薬を2週間飲んだところ、めまいが治ってしまいました。
不安だったら年寄りに聞くべきです。
おわり
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