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月に一回発行される園内便り「創造の森」に掲載されている園長 木村 仁の父母に向けてのメッセージです
2012年度6月号
『幸せになろうよ』
幸せになるキーポイント
(幸せの核となるのは、自分と自分、自分と愛する人が心地よい心の交流の喜 びがもてることです。心地よい心の交流は、心にエネルギーが湧き続けるのです。愛する人とは、特別な・・)
園長 木村 仁
序
私が20歳でクリスチャンになって間もない23歳の頃と思います。とてもほろ苦い経験をしました。
しかし、その経験が生涯忘れられない、そして後々までも私を幸せに導いてくれる「人間理解の幸せ」の貴重な体験になったのです。
「・・さん」の表現に垣間見たことは、『自分と人を理解していないことが多くある。だから理解しようと努力する』必要を学んだのです。人の言葉の真意をどのように知ることが大切かを、考察するようになったことです。「人間理解の宝物」になりました。マイナスがプラスに大きく変化したのです。
ある日、自宅の電話が鳴りました。私より少し年下、同じ教会の女性から電話が来ました。
「木村さん!〇〇さんから聞いたのですが、私と結婚したいということですが、私はとても迷惑しています」。とたいへんご立腹でした。私は、ビックリしました。唐突もない話を一方的に続けるのです。
“私は、そんなこと言っていません”と言うと。
「いや、〇〇さんが言っていました。間違いありません」
“一度も、そのようなことを言ったことはありませんので・・・”
「嘘を言うのですか。クリスチャンでしょ!」
“ほんとうに言っていませんが・・・”
「とても迷惑しています。今後そのようなことを言わないようにしてください」。ガチャン!電話は切れてしまいました。
その後、何十年たっても訂正の言葉を聞くことはありませんでした。
冷静な自分がいるのを感じていました。本人に話の内容を確認することなく、一方的に電話で話しをしていることを感じていました。この経験は、現在でも心に鮮明に残っていて、私を幸せにしてくれています。
『その人の、その時のあるがまま受け入れることの大切さ』を知るきっかけになったのです。
『・・から聞いた』と言う話の不透明さほど、一人の人に大きな心の傷を与えることはないこと。
『人の話(噂・自分の思い込み)を、本人に確認することなく話を信じ込む』ことを、生きている限りしてはならない行為である決心をしました。
23歳の若かった私には強烈に現在も、心に深く刻み続けている思いのひとつです。この思いは、私を幸せに導く大きな体験になっているのです。なぜかというと、人と心通じ合うためには、欠かせないプロセスだからです。
人を理解するには、何がより真実なのかを確かめつつ、人と話す必要を心に刻んだ出来事になったのです。
人を少しでも多く理解して、人と心温まる交流は、幸せの核になるのですね。
〇〇さんは、私も知っているクリスチャンで、とても親切で想像的な人でした。お世話好きな人です。
以前、私に言っていました。「木村さんと・・さんとは、お似合いのカップルだよね」。私は、その質問には答えなかったのです。個人的なお付き合いは、・・さんとは一度もしていなかったのですがね。
否定したら・・さんに悪いと思ったからです。その否定しなかったことが、このようなことになるとは思いもしませんでした。上手に断ることを覚えていなかったのですね。23歳ですもん。
その後の私は、心地よい心の交流を求める努力を、よりいっそう意識するようになりました。
私が考えている幸せになれる基盤は、愛する人と心地よい心の交流を持とうと意識することにあります。まず自分と自分、自分と隣人と心地よい心の交流を持ちたいと「望み続ける」よう日々努めています。
人間は、「心地よい心の交流」を本能として誰でももっているものですが、現代社会の精神的環境では、本能が薄れてきているように思えます。人と心地よい交流を持ちたいという本能は、誰でもがもっているものですが、『望み続けなければ』人は、大切な核を日々の忙しさに紛れて忘れてしまうと思っています。
人は、無意識に「思う方向を見てしまう」ものです。意識し続けなければ、見えるものも見なくなってしまう自分を感じています。「望み続ける」ことを具体的に準備して日々を歩んでいます。
幸せを分かち合える自分になりたいと願いつつ、意識して今後の日々を歩みます。
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